国際通りのちょっとした昔話

今回は、筆者の体験を交えて少し昔の話をしたいと思います。

時代の流れは自身の変化だけでなく、周りの景色なども変化させていきます。

現在の国際通りは「観光客向けのお土産屋が立ち並ぶ通り」として世間には認知されています。実際、とても多くの観光客が現地を訪れています。

そんな国際通りですが、少し昔は地元の人々で賑わう通りでした。

皆さんは国際通りにあった「国際ショッピングセンター」と呼ばれる建物があったことをご存知でしょうか?

この建物は去る2000年 1月15日に閉鎖されています。

しかし、そこは確かに当時の国際通りを代表し、活気があった場所でもあったのです。

今回はその「国際ショッピングセンター」を少し振り返ってみましょう。

国際ショッピングセンター

竣工は1972年頃からで、近代的な造りになっていたこの建物は当時珍しく、中にはボウリング場や飲食店街、書店や楽器店にお土産屋など様々なお店があったそうです。(後に地下の飲食店街には、ゲームコーナーが大量に作られました)

若者の遊び場や待ち合わせ場としての他、夜になってお店が閉まった後も解放されたままのピロティーでは、夜通しお喋りをする人や飲み潰れて眠る人、酒盛りをしてる人なども居たようです。

当時の私は、地下の飲食店街のほとんどが閉店・閉鎖された後のゲームコーナーが大量に作られた頃から、ここで遊んだりするようになりました。地下はほとんどのお店が閉まっているせいもあり、とても不気味な雰囲気が漂う上、いわゆる多くの「ヤンキー(不良)」が溜まり場として使っていたことから、あまり良い印象はありませんでした。

この建物、今では想像もつかないと思いますが、なんと「A&W」が当時はありました。
今では国際通り近辺に「A&W」の店舗はなく、とても寂しい気もします。
その他、私は書店(球陽堂)もよく利用していました。(今になって知りましたが、2階にも繋がっていたのですね…。)

当時の国際通りはまだ全然開拓されてなく、所々にブルーシートを大型のテント状にし、その中でお店をやっているところなんてものもありました。この建物は、それらが点在する中でも一際人気があった建物だったと思われます。

そして時の流れとともに入居していた店舗も減り、2000年 1月15日に皆から惜しまれながらも閉鎖し、28年の歴史に幕を閉じました。

これだけだと少し寂しいので、当時賑わっていた他の建物にも少し触れてみましょう。

那覇タワーとMAXY

竣工の1973年から長らく国際通りのランドマークタワー的存在として、多くの人で賑わっていました。最初は那覇タワーに付属する建物は全て立体駐車場だったそうです。その後、立体駐車場の部分は店舗スペースとなり、だんだんとお店が増えていったようです。私も友人とよく訪れました。

しかしながら残念なことに、2008年 8月31日をもってテナント全ての営業が終了、閉鎖されたようです。

その他にも「沖縄山形屋」などもありました。(こちらも1999年 8月31日に閉鎖されるまで、なんと77年間も営業を続けていたそうです。)

こうして見てみると、当時の国際通りがいかに地元の人で賑わっていたかがお分かりになると思います。

年々このようなお店は減り、ますます観光客向けのお土産屋が増えていく中で当時のことを思い出すと少し寂しい気もしますが、これも時の流れでしょう。より便利になっていくことはいいことですし、これからも国際通りの発展を願っています。

コメント

  1. 自分が沖縄に来た時には既にこの建物は使われていなかったので、「どんな建物だったんだろう?」って気になってました